【昭師】 事後です
窓から差し込む光がひどく眩しい。
眩しさを振り払うように身じろぎをして 司馬昭は目を覚ました。
不精な彼は、いつも寝坊ばかりだ。今日も日が大分高く昇っている頃だろうか。
いつもと変わらぬそんな朝 …のはずだったが。
傍らに感じる温もりに、司馬昭はぎょっと目を瞬かせた。
己の身に身体を傾け、規則正しい寝息をたてているのは
誰よりも偉大で崇高で 司馬昭が敬愛して止まない美しい兄、司馬師であった。
――そうか俺、昨日、兄上と…
寝起きのぼんやりした視線で見つめるのは、兄のしろい肢体に散らばった無数の情交の跡。
これをつけたのは他でもない自分だというのに、どうしようもなく目に毒で、司馬昭は気まずく目を伏せた。
人形のように眠る兄の身体に浮かび上がる赤の色が、ひどく艶かしい。
司馬昭が兄への許されざる感情を自覚したのは、もう随分前のことになる。
幼い頃からこの兄が大切で好きで大好きで。その感情が、身体の成長に従い家族としての愛情の範囲を踏み越えてしまうのは、いとも簡単なことだった。
思春期の気の迷いというにはあまりにも罪深いその感情を、司馬昭はもてあまし続けた。
その感情は強く深く、思春期を過ぎてからも、燻り続ける炎のように司馬昭の中に熱を灯したままだ。
夢の中で何度もこの美しい兄を犯し、穢し、辱めた。――しかし
この、夢の続きを見ているかのような現在の状況は一体、何なのだろう。
許されざるこの想いを、一生伝えるつもりはなかった。
この衝動を自分の中で飼い殺して、従順で愚鈍な弟として一生生きていくつもりだった。
しかし。
ありえない、ありえないと思っていたことが
奇跡が、起きてしまったのだ。
昨夜のことはもう、あまり覚えていない。
あまりに夢中すぎて、あまりに必死すぎて 本当に夢の中の出来事のようだった。
現実の兄は想像の中の彼よりずっと優しく、力強く、そして温かかった。
司馬昭はその温もりに縋るように兄を求め、噛み付き、ひたすらに貪った。
飢えたけもののように、己の兄を、ただ夢中で喰らった。
司馬昭は傍らで眠る兄の漆黒の髪に手をそっと添える。
するりと指の間をすり抜ける滑らかな感触。
夢じゃない。ちゃんと触れる。
いっそ夢だったら良かったのに、と司馬昭は思う。
美しい兄を。自分が、穢してしまった。
現実に触れてはいけない人だった。自分なんかが触れていい人では無かった。
いつだって兄は気高く美しく崇高で、他の人とは確実に違っていた。自分とは違っていた。
そんな兄が、好きだった。尊敬していた。
情交の最中でも兄はひたすらに気高く美しく、
しかし時折見せる苦痛と快楽に歪んだ表情がひどく人間的で、司馬昭を煽った。
あんな顔を見せられたらもう、自分の中のけものを抑えて生きていくことなどできない、と思う。
そして司馬昭は、自分の中のどこかうす暗い部分が満たされていくのを感じた。
美しいこの兄を穢してやりたい。人形のようなこの表情を崩してやりたい。
自分が真に望んでいたのはこんなことだったのか? この、黒い欲望が。
「くすぐったいぞ、昭」
凛とした兄の声に驚き、司馬昭は咄嗟に髪を撫でていた手を離した。
「すみません、兄上」
すみません、すみません と心の中で何度も詫びる。
兄は昨夜のことが全て夢だったかのような、いつもの怜悧な表情で。それが尚更に、司馬昭の自己嫌悪を煽った。
兄の身体に散らばる情交の跡は昨夜のことが現実であると非情にも告げていて。
「…なに、泣きそうな顔をしている?」
兄の手がふわり、と近づいてきて、司馬昭の髪に触れた。
くしゃり、と柔らかく髪を掴まれる。
子供の頃と同じ、あやすような手つきで髪を撫でられて。
「どうせお前のことだ。昨夜のこと、後悔しているのだろう?」
頭に置かれた兄の手にふいに力がこもり、ぐい、と引き寄せられる。
みるみるうちに兄の顔が近くなり、唇が少しだけ優しく触れた。
「…馬鹿めが。仕様のない奴だ」
そう呟いた兄の顔には、ひどく優しい笑みが浮かんでいて。
司馬昭は、泣きたいような 走り出したいような衝動に駆られた。
ふわりとあたたかい何かが全身を駆け巡るような、感覚。
――ああもう、この人には絶対、敵わない。
この人はいつだって、俺のちっぽけな不安など 軽く吹き飛ばしてしまうのだ
衝動に身を任せ、思いっきり目の前の兄を抱きしめる。
夢じゃなく。この、愛しい人の体温を全身で感じられる悦び。
窓の外の太陽は、大分高いところまで昇っていて
この怠惰な寝室に光を溢れさせていた。
寝坊助なこの兄弟がこの部屋を出るのは、もう少し後のことである。