【岱+超】 たぶんほもじゃない。
「馬岱殿、いつもすみませんね。今回もまた お願いしますよ」
ぼんやりとした灯りが、目の前にいる軍師の姿を照らし出す。
密談には持って来いの、薄暗い部屋だった。
馬岱は精一杯笑顔を作ると
「任せてくださいっ。頑張って来ますよぉ!」
勤めて明るく答える。
この闇にふさわしくない、陽気な声で。
気乗りする仕事ではない。
しかしこれは、余所者である自分達の居場所を確保するためには必要な仕事であった。
蜀はいい国だ。蜀の人間たちは、皆人が良い。
しかし、綺麗ごとだけでは国はまわらない。
だからこそ、自分のような余所者にも仕事があるというものだ。
自分と、そして若の居場所を守るために。
馬岱は武具を握り締め 暗がりの街へと歩き出した。
うすぐらいこのせかいで
ばしゃばしゃ、と肌にかかる冷たさが気持ち良い。
夜なので多少冷えるとはいえ、まだまだ蒸し暑い季節だ。
馬岱は上半身を肌蹴け、冷たい水を思いっきり浴びた。
――若が帰ってくる前に。はやく、はやく洗い流さないと。
全身を布で拭き清め、地面に残った少し赤黒い水を 桶で追い立てるように流す。
「馬岱!こんな時間に水浴びか!?」
突然声をかけられて、馬岱は身体を強張らせた。
幸いにも赤黒いものはすべて洗い流された後だ。
「おかえりぃ、若。鍛錬してたら調子出ちゃって…こんな時間になっちゃったんだよねぇ~」
馬岱は桶を井戸のふちに置き、エヘヘと微笑む。
「おお!偉いぞ!流石は馬岱だ!!!」
ものすごい力で裸の肩を引き寄せられる。痛い。
間近に見る馬超の顔は少し上気していて、酒くさかった。
今夜、趙雲と飲んで来るというのは既知の事実だ。どうせまたしこたま飲んできたのだろう。
「やはり正義のために日々努力しなければだな!よし馬岱今から手合わせするか!!」
「ちょい、待ってよ若ぁ!お酒飲んで来たんでしょう、危ないよぉ~!」
ちなみに馬超は酒に強い。はっきり言って、ザルだ。
なので酔ってるわけではあるまい。平常からこうなのだ。
特に「正義」うんぬんと言い出した時は本当にたちが悪い。
庭先に立てかけてある槍を掴んだ馬超を、必死で押しとどめる。
「大丈夫だ!この馬孟起の槍は酒などに屈しはしないッ!」
「若~!こんな時間に近所迷惑だよぉ!明日にしようよ~!」
今にも槍を振り回さんとする従兄を、両腕でがっちり押さえつけ
「それに俺、今日は一日鍛錬しててもう疲れちゃったんだよねぇ もう寝よ、ね?」
有無を言わさぬ笑顔で、無理やり邸内へと誘った。
今夜の仕事は、敵の間者の始末だった。
・・・何食わぬ顔で働いていた新参者の文官。
彼が本当に敵の間者なのかは知らない。軍師がそう言う以上は、そうなのだろう。
私邸にこっそり忍び込み、声を上げさせる間もなく討ち取った。
戦場で敵将を討つのと同じ、同じ行為とはいえど。
両手についた返り血は、赤黒く濁っていた。
なんとか邸内に押し込んだは良いものの、
飲み足りない話し足りないと駄々をこねる馬超に押し切られて、私室で飲むこととなった。
「だからな、馬岱!正義というものは!!!!!!」
馬超は声を張り上げ、ひたすらに語っている。
この状態になったらもう誰も止められない。
馬岱は手元の杯をちびちびとやりつつ、適当に調子よく相槌をうちつづける。
「そうだよねぇ、若」
「あ~うんうん」
「それでそれで?」
「それは凄いねぇ~~」
馬超の語る「正義」が、きれいごとに過ぎないことはよくわかっていた。
戦は、「正義」とか「悪」で片付けられるものではない。
それでも、馬岱はこの語りを聞くのが 好きだった。
――若は、本当にばかだなぁ
何もしらない若。まっすぐな若。何も、見えていない若。
今、目の前にいる男の本性が、「正義」か「悪」かすら見極められないというのに。
馬岱は目を細めて、熱く語る馬超を見つめる。
きらきらと輝く瞳はまっすぐ前を見つめ、馬岱の視線とはかち合わない。
それでも馬岱は、この人を見ていたい、と 思うのだ。
この、まっすぐな瞳を守るためなら、何だってする と。
やがて馬超は語り疲れたのか、座ったまま船をこぎ始めた。
窓の外の空はもう、白み始めている。眠くなるのは当然だ。
「若、わーかっ、寝るなら寝所に行こうよ~」
身を乗りだして呼びかけるが、むにゃむにゃとよくわからない返事が返ってくるばかりだ。
馬岱は後ろから脇に手を入れ馬超を立たせると、無理やりひっぱって歩き始める。
「はいはい若。こっちだよ」
ぎゅっと掴んだ手から、馬超の体温を感じた。
「ん~…岱、あまりひっぱるな…」
馬超は目をしばたかせながら、よたよた付いて来る。
この手を、一生離すものか と馬岱は思う。
世話の焼ける若。戦場では修羅の如く戦うくせに、生活能力は全くない若。
――そんな ばかな 若だから。
何も知らないままでいい。
どうかただ 穢れ無きままで そこにあって欲しいと。
よたよた歩く馬超を無理やり寝所に押し込み、
布団を被せる。すぐに規則正しい寝息が聞こえ始めた。
「おやすみ、若」
囁く馬岱に いつもの底抜け明るい笑みは無い。
しかし何よりも優しい、 慈しみの眼差しがそこには有った。
―――どうかただ、何も知らないままで。